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第一感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい マルコム・グラッドウェル

第2章 無意識の扉の奥

 

「一流選手に聞いてみても、自分のプレイについて常によくわかっていて、正確に説明できる選手は一人もいなかった。聞くたびに答えが違ったり、無意味なことを答えたりするんだ」

 

「プロ選手はたいてい、フォアハンドを打つときは手首のスナップを利かせてラケットを回転させるようにしてボールにかぶせると説明する。なぜだろう?」

 

アガシがボールを打つところだ。画像をデジタル処理すると手首が八分の一度回っただけでもわかる。だがどの選手もまず手首は回さない。ほら、ほとんど動いていない。ボールを打ってかなりたってからようやく手首を回している。自分ではボールを打つ瞬間に手首を回すと思っているが、実際に回すのはうったあとずいぶんたってからだ。なぜ大勢の選手が勘違いするのだろう?」

 

 

「やあテッド。少し前に実験したんだが、ボールがバットに当たるところは人の目にはみえないらしいな。何せ0.003秒の間の出来事だ。すると彼は素直に認めたよ。多分見えるような気がしただけだ。とね」

 

テッドウィリアムスの打撃は誰よりすごい。彼は身体をどのように動かしているかも自信をもって説明できる。でもその説明は実際の動きとずれていた。

 

無意識から生まれた思考について説明を求めたときは、答えが返ってきても慎重に解釈する必要がある。恋愛にかんしてなら私たちはこのことをよく理解している。テニスやゴルフ、楽器を習うには、ただ説明してもらうだけでなく、上手な人に実演してもらう方がわかりやすいものだ。

 
第4章 瞬時の判断力

彼らの言い分はこうだ。「このプロセスはもっと複雑なはずで、心電図をみて2,3質問しただけでわかるはずがない。患者が糖尿病かどうかなぜきかないのか。年齢は?以前に心臓発作を起こしたかどうかは?」もっともな疑問だ。

 

スチュアート・オスカンプという研究者が有名な実験をした。
心理学者に29歳の退役軍人の事例を情報の提示を4段階に分けて、各段階ごとに心理学者らは選択式の質問に答えた。

  1. 退役軍人についての基本的な情報だけを教えた。
  2. 1の資料と退役軍人の子供時代についてくわしく紹介した1ページ半の資料を渡した。
  3. 1,2の資料と高校時代と大学時代を記した2ページの資料を渡した。
  4. 1,2,3の資料と従軍時代とその後の活動についての資料を渡した。

 その結果、

情報が増えるほど診断の正確さに対する心理学者らの自信は大幅に高まった。

だが全体の正解率はほぼ一定していて30%程度にとどまっていた。

 

オスカンプはこう結論づけた。「情報が増えるほど、判断の正確さに対する自信は実際とくらべて不釣り合いなほど高くなった」

 

救急室の医者と同じだ。彼らが必要以上に情報をあつめたのは、人の命がかかっている以上、自信を持つ必要があったのだ。だが、自信を持とうとするほど、頭の中に情報を追加しすぎて混乱してしまう。

 

優れた判断には情報の節約が欠かせないということだ。ジョン・ゴッドマンは複雑な夫婦間の問題にも明確で基本的なパターンがあることを示して見せた。リー・ゴールドマンは判断する人に情報を与えすぎるとサインを拾いにくくなることを彼は証明してみせた。正しい判断を下すには情報の編集が必要なのだ。

 

ポール・バン・ライパーはこのことをよく理解していた。彼と彼の部下も分析をしたが、それは戦争が始まる前だ。

 

いったん戦争が始まると、彼は部下に余計な情報を与えすぎないようにした。会議は短く、本部と戦場の指揮官とのやり取りも制限した。瞬間的に判断できる環境を整えようとしたのだ。

 

一方、青チームは情報を詰め込んだ。彼らは4万件の入力が可能なデータベースを誇っていた。目の前には戦場をリアルタイムで映し出す巨大なスクリーンがあった。政府のあらゆる部署から専門家を集めた。最新式の通信で4軍の司令官と直接つながっていた。敵の次の動きについて継続的に分析した結果を受け取っていた。

 

だが撃ち合いが始まるとすべての情報は重荷となった。「青チームの使うコンセプトがどんなふうに戦闘の計画に用いられるか理解できる。しかし、戦闘の最中にそんなことをして意味があるのだろうか?そうは思えない。

ライフル中隊が敵の一斉射撃を受けて身動きがとれなくなったとしよう。
中隊長が部下を集めて「本部の意思決定プロセスに従う」と言ったとする。むちゃな話だ。その場で判断して、実行に移し、先に進むしかない。


青チームのプロセスに従っていたら何をするにも2倍、4倍の時間がかかっていただろう。攻撃は8日ほど遅れたかもしれない。司令官は今の気圧や風向きや気温を知る必要はない。この先の天気の変化がわかればいい」

「チェス盤を見てみろ、敵の動きはすべてわかる。でも勝てる保証はあるか?そんなものはない。敵の考えまではわからんのだ。司令官が全てを知ろうとするほど、その考えにとらわれて身動きできなくなる。だがすべてわかることなどありえない」

 

200年前にナポレオンは言った。「将軍だからといって、確信をもって何かを知っているとか、敵が良く見えるということはなく、自分がどういう状況にいるかさえよくわからないものだ」

 

即興芝居にみる高度な判断

即興喜劇では、台本なしに役者がとっさにきわめて高度な判断を下す。それで、見ている者は思わず引き込まれてしまう。即興芝居は行き当たりばったりで、無秩序に見える。舞台に立ってその場ですべてを考えないといけないのではないかと思う。

 

だが実際は、行き当たりばったりでも無秩序でもない。彼らは思ったほどひょうきんでもなければ、気ままなコメディアンでもないことがわかる。真剣な役者もいれば、芝居ににしか興味のなさそうな役者もいる。彼らは公演が終わるたびに集まって互いの演技を批評しあう。

 

即興芝居はいくつかのルールが支配する一つの芸術だからだ。舞台上で全員がルールを守れるように確認しておく必要がある。「僕たちのしていることはバスケットボールによく似ている気がする」瞬時の判断を自発的に下す、複雑で動きの速いゲームだ。そのような自発性は組織だった反復練習をチーム全員が何時間もこなした後でないと生まれない。即興芝居でもこの点が重要だ。「自発的行動とは行き当たりばったりの行動ではない」

 

重圧にさらされた動きの速い状況で、瞬時の認知によっていかに正しい決断をくだせるかどうかは、訓練とルールとリハーサルで決まる。特に重要なのは「同意」だ。物語やユーモアを創作する場合、登場人物がその場で起きたことをすべて受け入れるとやりやすくなる。「相手の言うことを否定しない」というルールを守っているから面白い。正しい枠組みさえ作れば、優れた即興芝居にひつような流れるような思い付きの会話がいとも簡単に出てくる。

 
言語が情報を書き換える

ポール・バン・ライパーが初めて東南アジアを訪れ、指導教官としてジャングルに入った時、たびたび遠くで爆撃音が聞こえた。当時彼はまだ中尉で経験が浅かったので、音がするたびに戦場にいる部隊に連絡して状況を確かめようとした。だが数週間もすると、相手にも状況はわかっていないらしいと気づいた。それはただの爆撃音にすぎず、何かの前触れだとしても、何の前触れかはわからないのだ。そこで人に聞くのはやめた。

 

二度目にベトナムを訪れたときは、爆撃音がするとしばらく何もせずに待った。「腕時計を見たよ。5分間は何もせずに待つためだ。助けが必要なら大声で叫ぶだろうし、5分して状況が落ち着いたら、やはり何もしない。部下を無線で呼び出しても私を安心させるようなことしか言わないし。それを鵜呑みにして動いたらミスにつながりかねないし、部下が状況を見極めようとしているのを邪魔することになる」

 

ポールは部下に反省を求めなかったし、会議もやりたがらなかった、説明も要求しなかった。代わりに部下の知恵と経験と優れた判断力を活用しようとしたんだ。このような管理には危険がともなう。部隊の行動を把握することができない。すなわち部下を心から信頼する必要がある。だが、圧倒的な長所がある。自分の行動を説明しなくても動けるということが即興芝居の合意のルールと同じように働いた。瞬間的な認知が可能になった。

 

この前レストランに行ったときのウェイターの顔を思い浮かべてほしい、警察での面通しでその人を当ててほしいと言われたら、たぶんできるだろう。だが、紙とペンをもって、その人の見た目の特徴をできるだけ詳しく書いてほしいと言われたらどうだろう。その後面通しをすると、不思議なことに今度はその人の顔をいい当てられない。

 

このような現象について研究してきたジョナサン・スクーラーはこれを「言語による書き換え」と呼ぶ。言葉で説明すると視覚的な記憶が言語に置き換わり、2度目の面通しでは、どんなふうに「見えた」かではなく、どんなふうに見えると「言った」かの記憶を引き出す。人の顔については誰もが直感的な記憶に頼る。しかし、その記憶を言葉で説明するよう求めると記憶は直感から切り離されてしまう。

 

論理的な問題なら説明を求めても答えを出す能力は損なわれない。だが、瞬時の判断を要する問題だとそうはいかない。「スポーツの世界では、分析していたら運動能力が麻痺するという。考えていたら体が動かない。流れが失われるのだ。そこには言葉にできない微妙な部分ある」人間は洞察力や直観力を飛躍的に高めることができる。だがこれらの能力はどれも非常にもろいものだ。洞察力は電球と違って自分の意志で付けたり消したりすることができない。風が吹いただけで消えてしまうロウソクのようなものだ。